「メディア」としての芸術が、未来をつくる

「メディア」としての芸術が、未来をつくる

Interview

奈良祐希(陶芸家・建築家)

 

陶芸と建築という2つの分野で、革新的な創作活動を続ける奈良祐希氏。
7月に京都の「佳水園」で発表された新作〈Lotus〉シリーズは、HOSOOのテキスタイルにインスピレーションを受けて生まれたという作品です。
今回の「佳水園」での展示で奈良氏は、細尾12代目・細尾真孝、いけばなの小原流五世家元・小原宏貴氏とのコラボレーションを果たしました。
HOSOOと共鳴する想いや、自身の創作活動のフィロソフィーについて、奈良さんのインタビューをお届けします。

HOSOOテキスタイルの魅力

今回のコラボレーションを通じて、実際にHOSOOのテキスタイルを見せてもらって、特に「Paragon」というテキスタイルにインスパイアされました。十字飾りのような模様で、僕が作品に用いている菱形のベクトルと通じるものを感じました。この模様からインスピレーションを得て、今回の新作〈Lotus〉のモチーフが生まれています。陶芸とテキスタイルでは、もちろん大きさとか素材は違うのですが、よく見るとシンパシーがある作品になっています。

HOSOOのスタイリングマットと、その上に載る僕の作品を、あえて全然違うものにして、対比するのもありだと思うんですよ。「このテキスタイルにこの陶器を合わせるの?」と思うような意外な組み合わせで。でも今回僕はそういう方向ではなくて、むしろテキスタイルに擬態するというか、似せていく方向で作品を考えました。そのほうが、マットと僕の作品が共鳴している感じがありますよね。そこにあるのはテキスタイルから見た陶芸でもあるし、陶芸から見たテキスタイルでもある。そういう意味で僕の作品が、テキスタイルをより引き立たせるものであってほしいし、逆もまた然りです。

HOSOOのテキスタイルは、写真を通して引きで見ると平面的に見えるんですが、実際に現物を間近で見ると、とても立体的なんです。レイヤーが重なって、織物が重なっていくことで成り立つ一つの美学が、そこにある。遠くから見たときのマクロな世界と、近くで見たときのミクロな世界。その2つの視点を両方含んでいるというのは、アートや芸術に近いと思います。だから僕の中では「これしかない」という感触がありました。

伝統工芸や芸術の進むべき道

今回個展のお話をいただいたときに、自分が陶芸と両輪でやっている、建築の仕事のことを思い浮かべました。たとえば、ある場所のある敷地に建てる建物の設計の依頼が来る。設計はこちらで考えるとしても、建築が出来ていく過程で、当然ながら現地の人が関わってきます。職人さんもそうですし、クライアントのお付き合いある人もそうですし、現地の人と何かを作り上げる感覚がある。僕ら建築家はサテライト的に、違う場所にいて関わるにしても、現地の人とその都度打ち合わせをして、一緒に作っていく。現地の情報も知ることができるし、現地の文化も知ることができる。僕は建築のそういう部分に面白さを感じています。

建築をつくることは、陶芸の作品をつくることとは全然違うベクトルです。建築には、「ある社会の中で行なう」という視点が当然ながらある。なおかつ建築というのはチームでつくるものですよね。一人の表現ではなくて、協働の作業です。

建築のその2つの視点が、僕の陶芸の創作活動のフィロソフィーにもなっています。陶芸というのは個の表現ですから、やっていることが矛盾しているのですが、僕は建築的な捉え方で陶芸を考えていきたい。細尾真孝さんや小原宏貴さんとコラボレーションをした今回の展覧会には、実はそういう側面が出ているかもしれません。個の表現ではありますが、個が混ざり合ったり、関連し合ったりすることによって、ある一つのチームができて、そのチームから生まれたものが圧倒的に新しいものになる。それが伝統工芸や芸術の進むべき道である。僕はそう思っています。

これからの芸術は「メディア」である

細尾真孝さんはよく僕に、「テキスタイルをメディア化する」とおっしゃっていました。以前は何のことを言っているのかわからなかったのですが、最近なんとなくわかってきたように感じます。元々テキスタイルというのは、「用」のもの、実用的なものですよね。それが「メディア」だということの意味は、それは服であり、身体を表現する一つのツールであり、なおかつ社会の鏡でもあるということだと思います。

それはまさに僕のやっている建築と一緒です。建築も人によって使われる存在ですが、建物という「箱」が、ある時代を象徴するものになったりする。その意味で建築は社会の鏡です。そして建築だけではなく、陶芸もそうです。「縄文土器」や「弥生土器」と言われるように、陶芸もそれぞれの時代の鏡でもある。そういうことを指して、「メディア」と細尾さんはおっしゃっているのだと思います。

やっぱりアートとか芸術というのは、内なるものを発露する、ナルシシズム的なものだと考えられがちですよね。「これが俺の作品だ、どうだ」と。もちろんそういう作品によって救われる人がいるし、そういう作品への社会的な要請というのは、それはそれであるのかもしれない。でも僕はこれからの芸術というのは、やっぱりメディアである必要があると思うんです。

自分の「内なる発奮」だけでいいのか。内なる発奮は当然あるにしても、そこにメディアとしての要素が入っていないと、これからの芸術はむしろ淘汰されていくのではないか。「社会にとっての自分」を考えるという視点が、これからますます求められてくると思っています。「内なる発奮だけでいいのか」という問いはずっと自分の中に引っかかっていて、だから細尾さんの「メディア」という捉え方を聞いて、「考えていることが一緒なのかも」と思ったんです。

HOSOO GALLERYで行なわれている展覧会「Ambient Weaving−環境と織物」は、まさに「メディアとしてのテキスタイル」を体現していると思いました。今までそれだけで完結していた「テキスタイル」が、たとえば温度や湿度といった環境情報を読み込むことで、周りの環境を取り込んで、一つのメディアになっている。自分がやりたいことはまさにそれです。作品が、置かれる場所や環境によって見え方が変わったり、光を取り込んで変わったり。そういう意味で、志向しているものの方向性が、細尾さんとは非常に近いと思っています。作品も当然ながら、思想が近い。今細尾さんや僕がやっていることは、時代があと一周すれば、「スタンダード」になるはずです。僕はそこに芸術の未来があると思っています。

 

奈良祐希 Yuki Nara

1989年石川県金沢市生まれ。2013年東京藝術大学美術学部建築科卒業、2016年多治見市陶磁器意匠研究所修了。2017年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻首席卒業、2021年より建築デザイン事務所 EARTHEN 主宰。陶芸分野では、Art Basel / Design Miami(スイス)、TEFAF(オランダ)、SOFA(アメリカ)などに招待出品。主な受賞歴に金沢世界工芸トリエンナーレ審査員特別賞(2017)。作品は根津美術館(東京)、ヴィクトリア&アルバート博物館(英国) などに収蔵されている。建築分野では、主な作品に「障子の茶室」(2018/金沢21世紀美術館、台南市美術館)2021年には若手建築家の登竜門Under 35 Architects exhibition 2021ファイナリストに選出される。金沢と東京の二拠点を中心に陶芸と建築、二つの領域をまたいだ創作活動を行っている。

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